-1986年春-

 

第十一話

 

 朝になって、門司と二人で新居の周りを探検した。到着したのが夜中だったので先ずは外観から点検だ、ごく普通の家族が住んでそうな立派な庭の着いた木造2階建ての家だ。玄関は北西、道路を挟んだ向こう一面は鬱蒼とした森!があり、ちかん注意などと看板が立ってある。


 ちょっと待てよ?この景色はまるで九州の田舎と何ら変わりがないではないか?森に沿った道をしばらく歩くと舗装がなくなり、轍がぼっこり出来ている。携帯電話など無い頃だ公衆電話を探さなくてはいけない。歩き回っていたら5分程の所にバスの停留所が有りそこに一つだけ電話ボックスを見つけた。ついでにバスの時刻表を見ると1時間に1本程で夜9時が最終になっている。


 ・・・やられた、ここは何処なんだ?花の大都会コンクリートジャングルの東京じゃないのか?事務所のあるS区に行くには、このバスに乗ってS駅まで行き電車を2回乗り換えてやっとだ、オレと門司はため息をつきながらハウスに戻った。

 

門司「おーい!みんな起きろ、たいへんだ!たいへんだ!」


若松、八幡、戸畑
がもそもそと起き出してきた。


オレ「おおごとしたばい、ここら辺すげー田舎で、バスもロクに走っとらん!」


戸畑「そうやろ」


オレ「何で知っとん?」


戸畑「俺、あさジョギングしたもん。S駅まで走ってきた」


皆「うそー!」

 そうなのだ、この戸畑という男、俺に言わせれば一風変わっている。部屋を覗くともうすっかり片づいていて、畳んだ布団の端は1センチたりともずれていない。普通ジョギングするか?しかもS駅往復となると、優に一時間はかかる。変態だ、レコーディングやら撮影でヘトヘトに疲れているというのに。

そして次の日から彼に叩き起こされ全員走ることになる。

 

 つづく

 


-1986年春-

 

第十二話

 

「おーい、ちょっと待ってくれ~」


「ほら、顎が上がっちょろーが、もっとしゃんしゃん走れ」

 5人の共同生活が始まって二日目、全員早朝から戸畑に叩き起こされ、走り込みをやらされていた。彼が言うには、ロックバンドは体力が命、ミックジャガーだって、矢沢の永ちゃんだってきっちりランニングしよるやろ、だそうだ。みんな最初は面白がってやったけれど、一人抜け、二人抜け、一週間ほどで戸畑一人になった。それでも彼はロペスのように走り続けた。

 体力作りは彼に任せて、オレ達は家事当番などを決め、なんとか上手くやりだしていた。風呂は最初に入りたいヤツが洗う。冷蔵庫はマネジャーのお古を貰い受けみんなで使った。それぞれが持ってきた調味料などは、名前を書き、卵の一つ一つにもマジックペンできっちり、小倉とか八幡とか名前を書いた。

 


 何故そこまでしなくてはいけなかったか?ずばり、この先相当な貧乏を覚悟しなくてはいけなかったからである。最初の贅沢なホテル暮らしや、ベンツの事などもう遠い昔話になっていた。先日メンバーとマネジャーで話し合いがもたれた折りには月々のギャランティはメンバー平等に手取り45千円ということになった。新人アーティストの給料が安いことは元々予想はしていた、しかしこれじゃあ高校生のアルバイトより安いではないか、でも事務所の現実を見るとオレ達はこれ以上突っ張ることは出来なかった、当初の景気の良さは単にスポンサーであるブジヤのお財布だったのだ。

 と言うわけで、これからが本当のロックバンドの生活である。みんなで米を買う、もちろんこしひかりやひとめぼれではない、標準米と言う一番安いヤツだ。おかずはちゃんと自分たちで作る、オレの得意は八宝菜ならぬ三宝菜だ。キャベツと人参とピーマンを炒め片栗粉でとろみをつける、これが結構美味い。それぞれみんな趣向を凝らし、いかに安く美味しく作るかを楽しんでいた。ただ、八幡だけは飲食店を経営している実家から、レトルトパックの焼き肉や、カレーなどが送られてくるのだ。みんな最初は「ほう~いいねえ」とか言いながらも、そんなもんよりこっちの方が美味いぜと己のオリジナル料理研究に余念がなかったのだが、八幡のレトルトはそのうち他のメンバーの反感を買うことになってしまう。

つづく


-1986年春-

 

第十三話

 

 八幡は元々、一人でピアノの弾き語りをするソロアーティストだった。決して盛り上がることのないその歌がオレはとても好きだった。馬鹿にしているのではない、今でこそ癒し系とかヒーリングミュージックなるもののジャンルが確立されているが、当時はせいぜいネオアコか日向敏文ぐらいが関の山だった。何故そんな彼がこの「NEW LOBB」のメンバーになってしまったのか?これは、1980年代当時の九州ロックシーンに於いての重要なキーワードが隠されている。

 そう、当時九州に於いてミュージックシーンの双璧を成していた地区は博多と北九州である(長崎の横道坊主と熊本のメインストリートも忘れてはいけないが)。博多はその昔から伝統的にロックはサンハウス系、ポップスはチューリップ系、また海援隊などのフォーク系のバンドが続々と誕生し、80年代には80's ファクトリーというライブハウスを中心にTHE MODSTHE ROCKERS、ザ.キッズ、アクシデンツ、アンジー、ヒートウェーブ、フルノイズ、など人気バンドが目白押しだった、しかもそのどれもがギターサウンドを核とした、ロックンロールだった。


 一方、北九州はTHE ROOSTERS(元スカパラ現More the Manの冷牟田の在籍した)ハイヒール、アップビート、ダブルハート、後にオリジナルラブを結成する木原隆太郎、現在、プロデューサーとして活躍めざましい朝本浩文、そしてNEW LOBB。これらのラインナップを見て勘の良い方なら気がつくと思うが、博多は王道のロック、北九州の音楽は総じて斜に構えている。つまり(と言うには少し短絡だけれども)北九州の音楽にはパーカッションやキーボード等をフューチャーした色気が必要だったのである。


 そこで八幡なのだが、年が一人だけ離れていたこともあって半ば無理矢理メンバーにされたところがある。だからかどうか、東京に来てからの彼はいつも少し寂しそうだった、というかそれこそ斜に構えているように見えた。そんな彼が一人「あれえ、この焼き肉パック賞味期限切れたよ」とゴミ箱に捨てる度、「あいつ、一人で冷蔵庫一杯にするくせに、レトルトパックもう捨てとうよ」と、非難されるのであった。

 

人間、食い物の恨みは恐い。

 

 

つづく


-1986年初夏-

 

第十四話

 

 一ヶ月の間にキャンペーンやらライブやらで東京-九州を3往復したのだが、その時オレと門司は羽田で貴重な体験をしたのだ。

 

 夕刻オレ達を乗せた飛行機が滑走路を滑りだし順調に離陸したその時、見たのだそれを!窓際に座っていたオレ達ははっきりと確認することが出来た。窓から見てやや下の方向に黒光りのする巨大な葉巻型母船を!この物語はフィクション(という事にしていて下さい)だがこの部分は完全な実話だ。

後でこの話を人にすると、飛行場だから他の飛行機と見間違えたんじゃない?と言うが、そんな事はない。何故ならその葉巻型UFOの少し上空に一機の旅客機が飛んでいたが、それははっきりと飛行機の形をしていたのだ。オレはその時「次元」と言うものを凄く感じた。人間は3次元という世界に住んでいる、そして死後はどうなるかは色んな人が色んな事を言っている、結局死んでみないと分からない。だけど何かが歪んだ瞬間、垣間見えるモノが有るんじゃないのか?そしてその時は何のニュースにもならなかった、他に誰も見なかったと言うことだ。じゃあオレと門司が見たモノ何だというのだ?それは紛れもなく物体だった。

 

 と、地に足の着かなかった生活もようやく落ち着き出していた。住めば都と言うが本当だ。5人の共同生活が始まったこの辺りは田舎だがなかなか良いところだ。都内の騒々しさのかけらも無くS駅までの道中には麦畑やとうもろこし畑もあり、1時間に1本のバスにはいつも女子高生がわんさか乗っている。

 オレとリーダー若松が部屋で曲作りをしている間に門司は早くもお隣りさんと仲良くしている。なんでも、ちょうどお年頃のお姉さんがいて、自動車学校に行ってるらしい。仮免許が取れたので「僕が運転を教えてあげましょう」とお母さん公認で無免許教師だ。車の中で「僕UFO見たんだよ」とか何とか言いながら上手いことやってんだろうなあと思ってたら今度は斜め向かいの家から何だか聴いたことのあるピアノの音が聞こえてくる、オレ達の曲じゃないか?なんだ?と思ったら八幡だった、ピアノの先生をやっているらしい。「サインねだられたよ」何て言っている。

 

そして戸畑はひたすら走っていた。

 

 

つづく


-1986年初夏-

 

第十五話

 

 記憶色というモノがある。例えば桜の花を多くの人はピンク色だと認識しているが、実際は殆ど白に近い。だから写真家やデザイナーは色を少し大げさに補正したりすることがある。
 オレの1986年の春から夏にかけての記憶色は水色である。それもやけにハッキリとしたスカイブルー。根拠のない自信、特別な思い、現実感のない日常...
 
 今日は記念すべきデビューシングルの発売日だ、オレは朝からそわそわして落ち着かないので、2階で寝ている若松を起こそうとしたが、「もー、しゃーしい、まだ寝る」といって全然起きそうにない、そうこうするうちに八幡と門司が起きて来た。もちろん、戸畑は走りにいっていて何処にいるか分からない。オレ達はバスに乗って駅前のレコードショップに行ってみようかということになった。今日は何もスケジュールはないので、駅前の探索も兼ねようと3人は少年探偵団宜しくはしゃいでいる。そして空はまるで昔の絵はがきの空のように青々と晴れ上がっていた。

 

八幡「見て、見て、ちょっとあの女子高生達、可愛くない?」


門司「ほー、いいやん、いいやん、おにーさんにまかせなさい」


小倉「よし、ひっかけて、あの娘たちと一緒にお昼にしようや」

 オレ達はプロミュージシャンである前にプロナンパ師でもある。故郷では百戦錬磨、数々の武勇伝を誇る。...ということで門司が声をかけるとあっさりついて来た。そして女の子2人とオレ達3人で駅前の喫茶店に落ち着いた。

 

八幡「あれえ、今日もしかして、発売日じゃなかったっけ?」


小倉「そう言えばそうだ、忘れてたな」


女の子「なあに、それ」


門司「いや実はオレ達、九州から来たバンドマンなんだよ。今日レコードの発売日でさあ」


女の子「うそー、まじで?すっごーい、すぐそこにレコード屋さん有るから行ってみようよ」

 

 門司は既に完璧な東京弁を喋っている、流石だ。いやいやなかなかにオレと八幡のトークも冴えている。オレ達5人は早速レコード屋に向かった。今日は何といっても期待の超大型新人バンドの発売日だポスターのいっちょも貼ってあるだろう。もしかして等身大パネルなど置いてあったらちょっと恥ずかしいな。


・・・無い。ポスターどころか、レコードそのものも無い。怒りとも悲しみともつかない情けない顔でオレたちはレコード屋のオヤジに食って掛かり「NEW LOBBのレコード今日発売日でしょう?何で無いの?」と問いつめたところ、何やら内部資料のような冊子をパラパラとめくり「ああ、これかな?お兄さんたち取り寄せますか?」と来た。


 気がつくと、女の子達が手を繋いで足早に去っていったのは言うまでもない。

 


つづく