Play to the beat...本物のバンド物語

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Play to the beat 主な登場人物

 ***NEW LOBB***

 

若松・・・ロックバンド「NEW LOBB」のリーダー
     ヴォーカリストにしてギターの名手

 

門司・・・ベーシスト、電気屋の息子
     メンバーになる前は「NEW LOBB」のマネジャーだった。

 

戸畑・・・ドラマー
     唯一サラリーマンの経験がある几帳面な男

 

八幡・・・キーボーディスト
     The Smithを愛する一番年下のメンバー

 

小倉・・・ギタリスト、リリックライター
     この物語の主人公

 

***その他***

 

下関・・・NEW LOBBを発掘したレコード会社のディレクター。

     加藤茶似の男前だが、すっとぼけた所がある。

 

LOBB・・・NEW LOBBの創始者にして九州ロックの番人

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-1986年初春-

 

第一話

 

~電話のベル音(昔風)

バンドリーダーの若松から深夜に電話が入った。

 

「もしもし、あオレ。」

 

「ごめん!うまかっちゃんノビるけ、後にして。」

 

「それどころやないっちゃ、いいけ聞け!明後日、福岡空港に2時集合な」

 

「えっなんで?」


「いや、レコーディングよ、デビュー決まったけ」


「うそー!何それいきなり!!」


「ブジヤのCMソングOK出たげな。ほいで事務所のもんが羽田空港に迎えに来るらしいよ、飛行機の切符はもう送ったから今日あたり着くやろうて」

 

「はああ~?!」


 とんでもない話だった。オレたちは地元北九州では結構人気はあったが、まさかホントにレコードデビューで上京とは...しかも話がいきなりすぎて良く分からない。
一足先にデビューを決めたup beatはもう去年から東京に行っているのにまだプロとしての活動はやっていないと聞いていた。そう、それくらい準備期間が要るんじゃないのか?リーダーは電話口で今後のスケジュールを読み上げている。レコーディング、撮影、リハーサル、合宿、キャンペーン....ひと月後にはもうレコードが出るという、本当なのか?


 何ヶ月か前、レコード会社のディレクターが地元北九州小倉でのライブを見に来たんだ。そしてえらく感動したらしく、「半年後に迎えに来るからな」と言って東京に帰っていったのを急に思い出した。

本当に来やがった...


 それから、殆ど友達に別れすら言えないまま約束の飛行場へと向かい、そして初めて間近に見るジャンボジェット機に興奮しながら「俺達これでついに芸能人ばい、ロックスターになるんよ!」と田舎っぺまるだしで搭乗口へ向かうメンバーは今後起こるであろう数々のトホホな事件を知る由(よし)もなかった...

 

つづく


-1986年春-

 

第二話

 

~飛行場の人ごみ効果音~

 

 初めて乗るボーイング747の機内でのオレ達は遠距離出張のオヤジ達のなかでさぞ滑稽だっただろう。金髪やら茶髪の兄ちゃん達が田舎なまりで大声で夢を語り合ってる。盆と正月とハワイと宝くじ当選とが一気に来たぐらいの興奮状態だ!そして1980年代と言えば、北九州ではパンチパーマが主流。なんせオレは金髪だという理由だけで警察に職務質問を受けたことが有ったぐらいなのだから。


「やっぱザ・ベストテンって松田聖子と楽屋は別かのう?」とか

 

「ドレッシングはピエトロのを東京のヤツに見せびらかして持ち歩こうかの」とか、

 

フライトアテンダントの「左手には富士山が見えております」の声に全員窓に顔をくっつけて

 

「上から見る富士山っちゃこんなんなっちょんやの~」

今風に言えばKY 迷惑甚だしい完全にアホのお上りさんである。そんなしょーもない話をしているうち、あっと言う間に羽田に着いた。もちろん機内で飲み食いできるモノは全部たいらげている。そして荷物を受け取りゲートを出るとお迎えが来ていた。そこにいたのはマネジャーになる予定の男で何と車は北九州ではコワーイお方か議員しか乗ってなかった高級車である。


「おいおい、ベンツやんか!すげー!」


「やっぱちがうの~さすが東京のプロダクションやん」


 それから、目の回るような首都高速に乗り、恐ろしい数のビルを横目に見ながらほどなくして事務所に着いた。そしてスタッフのみんなと挨拶をすませると、社長が「よっしゃ食事に行こう!みんな焼肉でいいかい?」そしてまたベンツに乗り眠らない街六本木だか渋谷だかの高そうな焼肉屋に連れていってくれた。オレ達はもう完全に舞い上がっていて、もはや東京を、いや、日本を制覇したかのような気分になっていた。

 

つづく


-1986年春-

 

第三話

 

 オレ達は高級そうな焼肉店で社長やマネジャーと共に今後の方針などを話し合っていた。

社長「今から盛大に売り出すにあたって、君たちのイメージコンセプトを決めようじゃないか」


メンバー「どうっすかね~」(食事に夢中)


マネジャー「社長、こんな奴らちょっと東京にはいないっしょ」


社長「そうだな、育ちは悪く無さそうだが、目つきはどいつもこいつも野犬かフーリガンだな。よし、知的な不良だ!」


メンバー「・・・特上カルビの奪い合い」

ドラムス戸畑「それって一番タチの悪いヤツらでは・・・」


マネジャー「いいですね、それ決まり!」

 そんなこんなで、わけの分からないままスタッフと初顔合わせの宴は進んでいった。
そして、その晩からオレ達は吉祥寺のこれまた高級そうなホテル住まいと相成る事になる。

明日からは早速レコーディングだ、通常本番のレコーディングを前にデモテープなどを録って色々とディスカッションを交わすものだが、この時は何から何までいきなりである。

その晩はメンバーみんな「母ちゃん、オレは日本の星となるばい!」 田舎の可愛い彼女よ「都会の絵の具に染まらないで帰ってきて!」と泣くんじゃないぜ! など、これから歩き始めるであろうスター街道を夢見ながら眠りに就いたことだろう。

 さて、いよいよレコーディングスタジオにて作業が始まった。これは一般的にはあまり知られて無いんだが、ロックやポップスのレコーディングに於いては「ドンカマ」という所謂メトロノームをヘッドフォンで聴きながら録音を進めていく。一つには演奏リズムをきっちり一定に保つため、またエンジニアが編集の時に手際よく作業が出来るようにするためである。ところがオレ達そんなこと聞いたこともなかった。いつだって戸畑のハイハットがメトロノームだったし、若松のテレキャスターのヘッドが指揮棒だったからだ。

もう大変だった。カチ、カチ、カチと聞こえていたドンカマが、ンカチ、ンカチ、ンカチになりやがてぐしゃぐしゃになってしまう。ライブではキャーキャーと黄色い声援を受け自慢のロックンロールナンバーをビシッと決めていた筈なのに。。。

 

 地元北九州では人気実力共にナンバーワンでは無かったか?後輩バンドに偉そうに講釈タラタラでは無かったか?プライドと自信がぼろぼろとメロンパンの皮のように崩れて行く...すっかりしょげてしまったメンバーは東京ラーメンの真っ黒いスープのせいにするしかなかった。

 

つづく


-1986年春-

 

第四話

 

 九州の(特に福岡の男)は異常にプライドが高い。そのくせ中央(東京)に対するコンプレックスも相当なもんだ。


 初めてのプロのレコーディング現場で九州男児のプライドが木っ端みじんに砕け散ってしまったオレ達は、口々にあのエンジニアはタコだの、こんなボロ機材じゃロクな音も録れないだの、虚勢を張って文句ばかり言っていたが、反面自分たちのプロというものに対する認識の甘さを鏡写しにされたような気がしていた。

実際ここ一、二年のオレ達は浮かれていた事は認めざるを得ない。二年連続で情報誌のベストアーティストに選出され、アマチュアにしてマネジャー、ローディー、PAスタッフ、照明スタッフ、ファンクラブをしたがえてライブハウス中心ではあるけど、年に何度かはホールを借り切ってライブをやっていたのだ。あるコンテストで長崎に行った時のこと...そこは2000人は入る大ホール、超満員の会場で僅か2曲の演奏だった。そしておきまりの審査発表は出場者全員が客席で待機をするというもの、そこでオレ達は異様な光景に出会ったのだ。

最初は数人の女の子が握手して下さい!とかそんな感じだったのだが、ハイハイと愛嬌を振りまいているうちにあれよあれよと何百人もの黒山の人だかりになり、サイン会と撮影大会になってしまったのだ。残念ながら賞の方は頂くことは出来なかったけれど、自分たちはまるでA Hard days nightの頃のビートルズになったかの様な錯覚におちいってしまい、得意満面で長崎を後にしたのだ。

そんな感じでライブをやれば満員のお客さんが迎えてくれる、それは当然だったし、街を歩けば知らない人に「あ、NEW LOBBの人でしょ!サインして下さい」と声をかけられ、更にはメンバーの名前を語ってナンパをする輩(やから)も居たらしい。もちろん戸畑を除くメンバー全員かなりのナンパ師だったのも隠せないけど...

  しかしここは故郷から1000キロ離れた花の都、東京だ。スタッフから見れば田舎出身の元気だけを取り柄にしたガキンチョにしか見えなかったのだろう。


 だけどオレたちはもう一つ取り柄を持っている。それはいくら凹んだとしても異常な回復の早さだ。東京ラーメンにはまだ馴染まないが、可愛いくてオシャレな女の子多いなあ~、と気を取り直してレコーディングを再開していたオレ達の元にTVCMのクライアントである「ブジヤ」の担当の人がやってきて「これが今度皆さんにテーマソングを歌ってもらうことになった新製品です」とスタジオにいた人全員に缶コーヒーを配って回った。オレ達はすっかり機嫌も直り「それじゃあ頂いてみましょう!」と一斉にプルタブを開けて一気に喉へ流し込んだ(がぶ飲みコーヒーというコピーがついていた)


「・・・」


誰も何も言わない。


「・・・・・・」


固まっている。


「うっ、麦茶やないよね?コーヒーよね、これ?」


誰かの小さい声。


「うん、飲みやすいじゃん!」


若松の嘘臭い東京弁。

 確かにその時代はまだ無糖飲料などというものは無かった、短いサイズの缶入りコーヒーも無かった頃である。缶ジュースというのは甘くて当たり前の時代。オレ達は、ただ苦い水を胃に流し、底知れぬ不安を感じながら中断していたリズム録り作業を再開した。

 

つづく


-1986年春- 

 

第五話

 

 本来、タイアップの商品が売れようと売れまいとそんな事はバンドの実力には関係ないはずである。

しかしその頃のオレ達は運も実力のうちと思える現象を自ら体験してきただけに、かなり気になっていた。

このコーヒーもどきがちゃんと店頭に並ぶのだろうか?と。

その後どうなったかはまた後で語るとして...なんとかいつもの自分たちに戻りレコーディングを終えたら今度はジャケット撮影だ、何せ来月には発売しなくちゃいけない突貫作業である。オレ達は徹夜の作業を終え六本木の写真スタジオへと向かった。

そこには照明に浮かぶホリゾントの前でスタッフやカメラマンがもうせわしなく準備をしている。イタリア製の高級革靴の底に貼られたガムテープを見てオレは思いだした、THE MODSのあの歌を...いかん、ここで舐められたらショッカーズの様になってしまう...

 スタイリストがどっさり衣装を持って来た、北九州では見たこともないモンゴルランチマーケットの派手スパンコールのついたデニムシャツやキラキラのアクセサリー。そこでオレ達は「こんな服着れるか!九州のロッカーを舐めんなよ!」...とは言わなかった。

そして誰かが「この衣装、撮影終わったら返さないけんのかね?」とマネジャーに聞くと「ブジヤが全部買ってくれたんだよ」と、それを聞いた瞬間メンバー5人で衣装の奪い合いである。

 

さすが知的な不良だ、ただで貰えるものには弱い。


・・・そしてオレは自慢の金髪を黒く染めその上に藁をかぶらされ、若松は触ったこともないシタールを抱いて「ニューヒッピー」というわけの分からないコンセプトで撮影は進んでいった。

 何がいけなかったのか?オレは今明確に答えることが出来る。ビートルズはデビューの時リーゼントを下ろし革ジャンからスーツに着替えた。ストーンズだってディスコティックな曲を演奏した時期もある。だから悪いのは「ニューヒッピー」でも「ブジヤ」でもないのだ。自分たちが、自分たちこそがパンク&ロックのスピリッツを一瞬、忘れたことにあると思う。

 

 今まではテレビの中でしか知らなかった世界に突然連れてこられ、プロレコーディングの方法に戸惑い、君たちの髪型もう東京では流行遅れだよと言われた時に、一瞬、ジョニーロットンの顔が薄れ、ボブゲルドフを忘れ、デイヴィッドバーンを見失っていた。


 そしてその時は、本当にパンクな生活が待っていることをメンバーは皆、気づきもしなかった。

 

第六話につづく


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